背景
アジア・アーツマネジメント会議の目的は大きくいうと次の2点です。

①アーツマネジメントの研究者と実務家との対話
②アジアの研究者・実務家との意見・情報交換とネットワークの確立。

 ①の研究者と実務家との対話は、別な言葉でいえば、理論と実践の擦り合わせであります。つまり、理論と実践の乖離や距離を、当事者どうしが出会うことによって認識したり、埋める努力をしたりすることです。②のネットワークの確立ですが、アジア間での文化交流を深めるためにはインフラの構築が必要であり、そのひとつがアーツマネジメントのネットワークであると考えています。

 第1回会議は日本(大阪)で開催され、韓国(ソウル)、中国(上海)、タイ(バンコク)、インドネシア(ジャカルタ)から招聘されました。第2回はヴェトナム、台湾、シンガポール、第3回はフィリピン、カンボジア、マレーシア、第4回はブータン、ミャンマー、インドネシアから招聘されました。第5回は開催地をバンコクに移し、日本から10名以上のアーツマネジメント関係者が行って、タイの関係者と議論するとともに、現地のオルタナティブスペースの視察を行いました。同様に第6回はジョグジャカルタにて開催、インドネシアの方々との集中的な交流を深めました。第7回は大阪にて開催し、韓国、タイ、インドネシアからの参加、第8回は再びバンコクにて開催しました。そして、最新の第9回ではクアラルンプールにて開催されました。国でいえば13カ国、講演者は延べ89名となっています。

 アーツマネジメントを通したアジアとの交流関連では、国際交流基金が「Alternatives:アジアのアートスペースガイド」という書籍を2回にわたって出版し、アジアにおける alternative space の情報を日本に紹介した功績は大きいと思います。また現在の政権はアジアとの文化交流を重視し、国際交流基金のなかにアジアセンターを設立し、政策的に支援しています。

 この8年間の活動では、各国のアーツマネジメントの多様性や深まりに驚きを禁じ得ません。そのなかで差異を認識するとともに、共通の基盤のあることも確認してきました。アジア・アーツマネジメント会議は発足当初から社会包摂型のアーツマネジメントの可能性を模索していますが、アジア各地でも同様の活動があることが分かってきました。そういう点で、alternative(対案的)という言葉は、我々の基礎概念になります。それは欧米型のアーツマネジメントに対抗するアジア型のアーツマネジメントを提案するということにつながります。

 少し紋きり型の言い方になりますが、欧米型のアーツマネジメントは、市民階級(ブルジョア)がつくりあげてきたアート(しばしばハイアートと呼ばれる)の市場を前提に、市民への配分を的確に実現する手法のことです。そのための施設(美術館やコンサートホールなど)を整え、経済的な支援体制を組み上げ、需要と供給のバランスを見極めながら政策化し運営します。公的機関が支援の中心となるフランス型、民間が中心となるアメリカ型などの差異はありますが、基本は同質です。(階層)分化した市民社会のなかで芸術文化の領域を設定し、その振興をはかることを目的としています。

 なかにはハイアートばかりではなく、1980年代からイギリスやアメリカではコミュニティを賦活するためのコミュニティアートが、1990年代にはオーストラリアではCCD(community cultural development)が現れましたが、これらは政策的な意図で始められた側面があり、政権によって資金や活動量が左右される不安定さをもっています。またこの文脈では、私たちはハイアート vs コミュニティアートといった不毛な2項対立には与しません。社会におけるアートの位置づけ(locating)に眼差しを向けたいのです。

 アーツマネジメントはアジア地域において中産階級が急速に広がったことを背景に、その活動需要が高まってきています。しかし、欧米のアートのあり方を基盤とするアーツマネジメントの理論をそのままアジアに適用することの困難さに加えて、近年の金融危機や度重なる災害によって、あるいはより踏み込んでいえば国境を超えたグローバル化によって、社会の二極化傾向はさらに進んでいくと予想されます。その打破こそが重要ですが、現実を見据えたとき、そこでどう生き延びていくのかという知恵も重要です。私たちが構想しようとしているアジアのアーツマネジメントの方法論は、その問いに答えるものであると思っています。アーツマネジメントを貧困や困難に苦しむ社会的弱者の現場において活用し、社会包摂の一環に組み入れることによって、文化による社会の再構築を行うという、アーツマネジメントの新しい試みがアジアで提示しされようとしています。そういった動向に注目し、その特色ある技術(技法)を共有したいと願っています。